カラマーゾフの兄弟

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zoom RSS 明治19年頃の葺合北部

<<   作成日時 : 2016/01/23 18:48   >>

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明治初期の葺合周辺地図はざっくりとおおまかなものが多いなか、
割と細かく書かれた地図(参謀本部陸軍部測量局)を発見。
まずは、新生田川周辺の地図の全体図。
(出典:地図で見る神戸の変遷T 1886(明治19)年頃)
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ちょうど生田川中央の西(左)に四角で斜線の入った敷地が見える。
調べてみたら、庄ノ池という池。
南北290M東西418M。
周辺田畑の灌漑用地であったとのこと。
(出典:葺合懐古三千年史)
ここを埋め立てて明治29(1896)年
神戸一中(兵庫県神戸尋常中学校)が開校している。
若菜通、国香通、神若通、旗塚通このあたりは
畑と茶畑が一面にひろがっている。
畑は大根畑があったのでは?と思う。
資料で幕末時、熊内大根のフロフキ煮は有名であった模様。
(熊内の中西誉左衛門の香字庵)
この神戸一中と生田川を挟んで少し北東に墓地がみえる。
場所的には神若通7丁目か旗塚通7丁目辺りと思われる。
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その墓地を東に進み畑を抜けると人家が集まっているのが見える。
やや中央上部に卍が見える。
この辺りは田んぼではない。
この卍がどのお寺を指すのかわからない。
今はないけれど
神若寺(しんじゃくじ)だろうか
おそらくこの山手幹線の南側の場所、
東側が今の春日野商店街付近ではなかろうか。
西が今の大安亭市場周辺だろうか。
確証は持てないものの、
他の地図を含め脇浜町3丁目にある乙女塚の場所が
移動していないと仮定して、それらを重ねあわせて見ると
そのように思う。あくまで推測ですが。
ちょうどこの斜め右上、北東側にも集落がある。
今の神戸平成病院周辺だろうか。少し北側に卍が見える。
本妙院か妙覚寺だろうか。
そのまま視線を東に進めると神社が見える。
この周辺にある神社といえば筒井八幡神社だ。
また地図記号は広葉樹を示している。
この辺りは田園の中にひときわ目立つ筒井の森として
往来する人たちの目印になっていたそうである。
そのまま東に行くと、この地図にはないけれど、
原田村で元王子図書館の神戸文学館がある。
少し北に行くと葺合高校があるが、
明治36年神戸高商が開校している。
調べてみると、高商の周辺は、見渡す限り
大根畑と苺畑であったもよう。
この地図では一面茶畑になっているが、
明治末期には大根畑に変わっていたと
『葺合ものがたり』にも記述がある。

むかし、高商に通っていた人が、
語っていた資料を読んだ。
学生は伸び盛りで食べ盛り。
特に部活動をしている体育会系の学生にとって苺は絶好のおやつ。
通学路にある苺を取って食べていたが、これが農家と問題になる。
確かに農家にとって商売にならない。
学校側と話し合いの結果、いくらかの代金と、
持ち出し禁止、その場で食すという条件で話がついたらしい。

今となってはこの周辺がたんぼとはとても思えないけれど、
終戦後のこの絵をみると、
昭和21年でも少し田んぼは残っていた模様。
チャペルが見える。山側から海に向けて撮影している。
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画面中央を東西にかけてJRと阪急が走っている高架が見える。
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高架下のガードはこのあたりだろうか。
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元映像はこちら(1:00〜)







【追記】
江戸時代(1788-1800)の頃の葺合の地図発見。
詳細まではわからないものの、ざっくりとはわかる。
(出典:神戸市立中央図書館 貴重資料デジタルアーカイブス 摂州兎原郡図(写))
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青が川、池。
黄色は田畑、赤が道、白が人家。

生田川は付け替え前の旧生田川。
北に熊内村、中央東に筒井村がある。
中央西に中村とある。
葺合で中村という地名で、まず思いつくのが
日暮通にある中村八幡宮。
しかしながら中村八幡は西国街道に近い。
この地図からだと離れすぎている。
この中村の集落は今のJR阪急の高架よりも北側だと思われる。

↓こちらは1748年摂津国名所大絵図
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こちらの中村は西国街道近くにある。
摂州兎原郡図の中村は書き損じというか、書き間違えなのか
下筒井村ではなかろうか。
中村は今の春日野道商店街と大安亭市場の間にある村と思える。

↓これは明治29(1896)年神戸市全圖。
生田川の付け替えが終わり、徐々に整備されているのがわかる。
ここに筒井村や中村、熊内村、中尾村が書いてある。
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元に戻り、摂州兎原郡図の中村。
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気になったのが、この中村の東側すぐに川が流れている。
曲線が印象的だ。少し蛇行している。

子供の頃
この辺りを歩いていて不思議というか奇妙というか
違和感を感じた場所がある。
国香通2丁目と神若通2丁目の間に曲線の道がある。
子供の頃は暗渠という言葉を知らなかった。
川と言えるかどうかくらいの細い、
普段は水が流れているかどうかというくらいの水量だったけれど、
川があった。途中ふたをされていた。
今こうして地図を見ると、
戦後の焼け跡での区画整理がこの辺り
あったのかどうなのかわからないけど、
今もこの曲線の道は残っている。
江戸時代より、ただの田んぼであれば、
きれいに区画整理すれば
いいと思うけど、そうなっていない。
周囲は碁盤の目のように縦横きれいに区分けされているのに対し、
ここは曲線を含むちょっと変わった形で区分けされている。
今も川が開渠されているところ、暗渠化されているところがある。
この川、北に目をむけると葺合中の西北側に開渠化されている。
俯瞰してみれば、今も川として生きているのがわかる。
その曲線の曲がり具合が、この江戸時代の地図と微妙にあう。
今の地図がこちら。赤線左に川が流れている。
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この集落のなかに神若寺(しんじゃくじ)があったのではないだろうか。
推測ですが。

写真を撮ってみた。(2017.02.18)
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神戸博 日本貿易産業博覧会 昭和25(1950)年 について
先日の王子動物園の前身を調べていた際、 昭和25年に開催された神戸博について興味を持った。 ネットで調べてみたものの、 具体的にどういうものであったかについて中々 知りたい情報は得られなかった。 そんななか この博覧会についての書籍が見つかった。 詳細は『日本貿易産業博覽會神戸博會誌』を閲覧すれば、 どのような催し物であったかがよくわかる。 実に詳しく書かれている。 興味のある方はぜひご覧あれ。 ...続きを見る
カラマーゾフの兄弟
2016/01/27 16:16

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
1960年代に旗塚通2丁目の文化住宅に住んでいましたので大変懐かしく拝見いたしました。このキツネ川は、文化住宅の前を流れ、生活用水も流していました。
キツネ川ですね
2016/08/18 13:46
情報ありがとうございます。
キツネ川という名称とは知りませんでした。
生田川と比べると川と呼べるのか?と思うくらいの
規模ですが、記憶に残る小川です。
カラマーゾフの兄弟
2016/08/18 16:32

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