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zoom RSS 昭和2年の葺合区内小学校児童数

<<   作成日時 : 2016/01/20 00:21   >>

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色々とむかしの資料をあさってみると、
知らなかったことが見えてくる。

神戸市統計書から児童数がわかった。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーから閲覧できる
画像

(出典:神戸市統計書. 第19回 第2編 ヘ育及衛生より)

これを読む限り、かなりの児童数であったことがわかる。
葺合区内で一番多いのが雲中小で1780名。
第二位が吾妻小1584名。
第三位が二宮小1543名。
わが母校の若菜小は1104名。
私が小学生だった頃は一〜四年生までは三クラス、
五、六年生は二クラスだったように思う。
アバウトだけどだいたいクラス数は16前後だった。
この統計を見ると、雲中小36クラス、吾妻小33クラス、二宮小30クラス。
若菜小は22クラスある。
昭和2年の時の方が昭和40〜50年代の時より児童数が多い。

今はどうなのだろうと調べてみた。
(出典:兵庫県教育委員会事務局学事課より)
平成26年5月1日現在のデータ(抜粋)が以下の通り。

画像

雲中小が414名。
中央小が557名。
少子化ということか、ドーナツ化現象というか人口移動が原因なのか
激減しているのがよくわかる。
上記教育委員会の資料をみると一番児童数が多いのが
魚崎小の1401名。
2013年度で日本全国小学校1位のマンモス校だった
井吹東小が1606名。

昭和2年の雲中小は1780名で
現在と比較しても
マンモス校だったのがこの資料から見て取れる。

あと興味深いのがお隣り通しだった
小野柄小(1157名)と生田川小(1252名)。
道路をはさんだだけの密接している学校なのに生徒数が半端なく多い。
多いというか多すぎる。
当時、小野柄小と生田川小の校区内に
どれだけの人が生活していたのかが容易に想像できる。
ちょっと北東に行けばすぐに吾妻小があるのに、この数である。
昔、新川スラムと言われた区域とちょうどかぶる。

小学生の頃はスラム街、貧民街といった認識は全くなかったけれど、
あまりあの辺りには行かないようにと父から言われていた。
子供なので深く考慮に及ばなかった。
年をとって、こうした資料や文献を読むにつれ、
すごいところに住んでいたのだなぁ〜と改めて思うようになった。

新川スラムと言えば、賀川豊彦。
ネットで検索してみたらすごいビックリした記事を見つけた。
こんな事実があったとは全く知らなかった。
次回はそれについて書いてみたい。



【追記】
昭和10年の児童数を見つけた。
(出典:神戸市葺合区勢要覧. 昭和11年より)
画像

なんと雲中小2510名。
小野柄小2093名。
雲中小は一学級あたり59.7人というすさまじい数になっている。


『葺合区のあゆみ 神戸市中央区役所 昭和57年3月発行』によると、
区内の小学校児童数は戦後上昇し続け、
昭和35(1960)年に10563人でピークを迎え、
昭和40(1965)年7733人
昭和45(1970)年6866人
昭和50(1975)年5587人
昭和55(1980)年4797人 と、以降は下がり続けている。
確かに自分が小学生高学年だった昭和50年代は
友達が北区へ引っ越ししたりしてだんだんいなくなっていったのを
覚えている。

上記表から計算すると昭和10(1935)年は14156人だった。
今のように中高層住宅が少なかった時代、
いかに過密していたかがよくわかる数字といえる。

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