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zoom RSS 今はなき若菜小学校

<<   作成日時 : 2016/01/15 23:59   >>

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先日の王子動物園を調べているうちに
若菜小学校や自宅周辺がどうなっていたのか気になり調べてみた。

とても面白いことがわかった。
まずは昭和5(1930)年。
学校がオレンジ色で塗りつぶしてあるのでわかりやすい。
画像

この当時若菜小学校は
中央小学校の所ではなく、今の二宮保育所の所にある。
小学生の頃、ここは市営新若菜住宅があった。五階建だった。

確か戦時中、若菜小学校(現中央小学校)の場所は
病院であったと布中の美術、鈴木先生の怪談話の中で聞いたことがある。
空襲で亡くなった方が収容されたと言っていた。
この地図には病院の表記がないけれど、おそらく病院だったと思われる。
が、ちょっと自信がなく、せっかくでもあるので調べてみた。
少し時間がかかるも見つかった。
画像

これは大正12(1923)年測量の神戸首部の地図。
(今昔マップ3をインストールすると見れる)
今の中央小学校のところに病院の地図記号がある。
下には卍の東福寺がある。
ビックリしたのが昔あこや亭があり、今はライオンズのマンションが
建っているところに工場の表記がある。
何の施設であったかは不明。
加納宗七による新生田川の付け替え工事があったのが明治4(1871)年。
この東福寺は明治41(1908)年に
現在地に移築

戦前この周辺には
朝鮮人が工場で働かされており、寮があったとのこと。


画像

この地図でビックリしたのが八雲小学校。
若菜小と吾妻小の間にある。
まさか小学校があったとは知らなかった。
小学生の頃、ここは市営住宅で
一階に耳鼻科があり、よく通っていた。
・・・と書いているうちに思い出した。
そういえばここで遊んでいるときに、年配のおばさんが
昔ここに小学校があったと言っていた。
その当時既に住宅地だったので、
そのおばさんの言うことをまともに信じていなかった。
今にして思えばあのおばさんの言うことは正しかった。

この地図を見ると、若菜小、八雲小そろって跡地に
市営住宅が建築されているのがよくわかる。
こまごまとした土地を買収して、高層の市営住宅を建てるなら
小学校を取り壊して作る方が手っ取り早い。なるほど。

また小野柄小の隣に生田川小がある。
なぜこんな近くに隣接しているのか不思議である。
wikiで調べてみると
この生田川小の場所には
元々雲中小学校があり、明治36(1903)年に今の熊内町に移転したため、
この生田川小学校ができたもよう。後で小野柄小に合併とある。
雲中小は歴史が古く、もともと熊内にあったと思っていたので少しびっくり。

またこの当時吾妻小のすぐ北側に斜めの道がある。
この赤い線が阪神電車であり、
春日野道と生田川という駅が表示されているのが興味深い。
wikiを見ると阪神春日野道駅は
もともと明治38(1905)年4月12日地上駅として開業し、
昭和9(1934)年5月1日地下駅としている。
なのでこの地図にある駅は地上駅だったのであろう。
しかし今考えるに吾妻小の北西側は大安亭市場があり家が密接している。
この阪神電車の地下化に伴い、土地の売買があり、家が建てられ
この斜道がなくなっていったのだと思う。

こちらは少し時間を戻して大正13(1926)年。
冒頭の昭和5年のとそれほど違いはない。
このときは生田川女小になっている。
画像

昭和10(1935)年の地図を見ると
吾妻小北側の斜道は残っているけれど阪神電車は現在のルートになっている。
また葺合区役所がなんと国香通三丁目にある。
wikiを見たら記述されている。
なんか実家近くに区役所があったとは不思議な感じがする。
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画像

(神戸市葺合区勢要覧 昭和11年)

この拡大した図だとわかりにくいけれど、少し拡げてみると
面白いことに気付いた。
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生田川が白くなっていて遊歩道と書いてある。
上流の布引雌滝周辺は青く塗りつぶされている。
あれ?もしかしてこれは暗渠(あんきょ)か?と思い調べてみたら、
暗渠だった。
wikiによると、昭和7(1932)年に暗渠化が完成、このとき生田川に公園ができたとある。
画像

画像

(神戸市葺合区勢要覧 昭和11年)
画像

まさしく遊歩道という感じ。
遊歩道は鉄筋コンクリート製だった。
今のように開渠化された理由が昭和13(1938)年の阪神大水害。
そういえば小学生の頃そごう辺りが水浸しになっている当時の写真を見たことがある。
暗渠化した生田川に巨木、巨石、土石流が流れ、ふさいでしまったため
旧生田川であるフラワーロードにどっと流れ出てしまった。
今の生田川はかなり深いし、幅も広い。
暗渠化した生田川の断面図を見ると、今の生田川と比べて
あまりにも幅が狭いし、高さが2.1メートルしかない。
ちょっとした大きい土管のような感じがする。
そりゃ〜、大量の土砂が流れたらアッという間に
詰まってしまうのは容易に想像できる。

阪神大水害の反省により、幅員を広く取る。
十分な水量が流れてもあふれないよう高さ(深さ)を取るといった対策が取られ、
今に至る。


昭和51(1976)年はほぼ今と同じ。
吾妻小北側の斜めの道の名残りが・・・。
小学生の頃、この細い斜道が不思議だったけれど、
もともとは電車が通る程の道だったとは知らなかった。
ちょうどこのあたりを撮ったブログを発見。
かなり詳しく書かれています。
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で、若菜小学校。
吾妻通にあった吾妻小学校。
小野柄通にあった小野柄小学校。
二宮町にあった二宮小学校。
今にして思えば若菜通にあったから若菜小学校だったのかと
今更ながら気付いた次第。



参考地図サイト:国際日本文化研究センター

【追記】
【1】八雲小学校について情報。
大正11(1922)年小学校内で朝鮮人夜学校が開設されている。
当時朝鮮の農村部から移住した労働者層は教育レベルが低く、
日本語はおろか、ハングルさえ理解できない人もいたため、
朝鮮人労働者が働きながら学習できるようにということで
長田区御蔵小とこの八雲小で夜学が行われたもよう。[兵庫朝鮮関係研究会]
このpdfの32ページ内に記述がある。

【2】現中央小学校の所に戦前あった病院名が判明。
私立萬國病院 国香通7丁目   医師4人 薬剤師1人 看護婦5人 とある。
(大正9(1920)年の兵庫県統計書 大正9年 第23編より)
画像

昭和16年の資料(兵庫縣統計書 昭和16年 上巻)にもあるので、まず間違いないと思われる。
画像

【3】生田川遊歩道は布引遊歩道と言われていたこともあり。
布引の山麓から一直線に南磯上通1丁目市電停留所までの
約一里の大遊歩道で新生田川を埋めて草花を植え公園としたものである。
(神戸観光の栞 昭和9(1934)年 神戸市観光課)


【4】
大安亭市場の斜道の動画を撮ってみた。

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