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zoom RSS 昭和21年5月 葺合、空中撮影動画を発見

<<   作成日時 : 2016/01/25 18:45   >>

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Youtube閲覧中に、
昭和21年5月に米軍が中央区上空を撮影した動画を発見。
葺合周辺をピックアップしてみる。

(1:11〜)
生田区→葺合区というように西から東にかけて市街中央部を撮影している。
画像

初見ではわからなかったけれど、
旧神戸一中と旧若菜小、雲中小と新生田川の位置関係を
おおよそ理解した上で動画を見ると、どのあたりなのかがよくわかる。
最初写っていたらいいなぁ〜と思いながら見ていたので、
これが判明した時はちょっと感動した。
終戦後の地図写真は見たことがあるけれど、
動画があるとは思っていなかったので。
旧生田川のフラワーロードが画面左上から右下にかけて写っている。
加納町三丁目の交差点は今と同じように広くて目立っている。
山手幹線が今のように整備されていないので
その道路はとても細いのがわかる。
画像

若菜通5丁目にあった若菜小学校が見える。
区画丸ごと小学校だった感じに見える。
画像

雲中小学校が見える。
昭和20年6月5日の神戸空襲の際、ここは燃えず
被災者の施設として使われている。
神戸空襲の体験談など読むと雲中小で治療にあたる話はでてくる。

ここで面白いというか妙な建物を見つけた。
神若通2丁目あたりにコンクリート造の建築物が見える。
今で言うところの神若保育所あたり。
むかし国土地理院の戦後の地図を見たときは、
神若通2丁目とはわからなかったので
この建築物は加美乃素の工場跡かなぁ〜なんて思っていた。
(当時工場があったのか否かも調べずに)
画像

(昭和21年11月20日米軍撮影)
このあたり地上でこの建築物を見るとひときわ目立つように思う。
なんせ周辺にはほとんど家らしい家が残っていないからである。
で、この建物いったい何なのか?じっくり調べてみた。
画像

(出典:神戸市社会事業概況. 昭和10年版)
鉄筋コンクリート三階建の東部共同宿泊所であることがわかった。
なるほど空襲にも耐えたのはそういうことか。
画像

そのまま東に進むと今の葺合高、筒井台中、上筒井小の辺りが写っているのが見える。
王子動物園があった辺りは画面が切れているため詳細はわからない。
神戸文学館のチャペルらしき建物があった箇所はかろうじて
動画内にあるものの、ほとんど一瞬で通り過ぎる。
画像


しかし、昔の葺合に興味がある者にとって
貴重な動画であった。





【追記】
動画で気になるところがあり調べてみた。
画面右上、高架線上にある細長い物体である。
画像

画像

画像

最初、電車と思っていた。
しかし動画を見直すと、全く動いていない。
動かない電車がそのまま残っているのかも知れない。
・・・となると阪急春日野道駅はどこ?と考えた。
位置的にこの細長い物体の周辺にあるはずである。
しかしこの動画からホームらしきものは全く見えない。
↓春日野道商店街、かすがの坂の位置(赤線)を絞り込んでみた。
画像

かすがの坂のラインが赤線であることを考慮し、
この細長い物体がホームだと仮定すると、
あまりにも(ホームが)西に離れすぎている。
あくまでも推測でしかないけれど、ここのホームはむかしの
阪神春日野道駅同様、狭い。
当時も今のように屋根があり、柱か柵などにしがみつくというか
電車通過時の安全上、なにがしかの施設、構造物はあったと思われる。
何もないのは駅として不自然だし、危険だ。
その屋根部分がこの細長い物体ではないか?と思う。

ちょうど春日野道駅に行った際、ホームの端はどこまでなのか?
行って見て撮った写真がこれである。
画像

ちょうど国香通2丁目の交差点がすぐそこである。
ホームの端なので、屋根などなく、ただのホームだけ。
各駅停車の電車が停車する一番西である。
道路をはさんだところ
むかしガソリンスタンドがあったけれど、
セブンイレブンのあるマンションに変わってしまった。
戦後なら、まちがいなく東部共同宿泊所が真っ先に見えたことだろう。
画像

どうしてこの駅の場所、位置についてこだわっているのか。
上記写真の赤丸地点。高架下なのだけれど、
子供の頃、ここに『阪急電車のりば』とペンキで書いてあった。
不思議で仕方なかった。
阪急春日野道駅入り口はかなり東にあるのに、
なぜここに書いてあるのか?
それが疑問だった。
今も残っているかと思い写真を撮ってみた。
画像

かれこれ40年近く前のことなので、文字は薄れているものの
かろうじて青枠の中、右上に阪急の「阪」の字が見える。
記憶が正しければ縦に阪急電車と書いている。
問題は左部分。消えているのか、塗りつぶされているのか
自然風化か、もう判読できなくなっている。
画像

画像

ここはふたをされている。小学生だった頃からここは閉じていた。
もともとふさいでいたのか、
最初は開いていて、途中でふさいだのかは不明。
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子供ながらにここに乗降口があれば、
大安亭市場に近いので便利だと思っていた。

この地図は昭和13(1938)年阪神大水害の被害状況を示した地図。
春日野道駅周辺を拡大してみた。
画像

ちなみに塗りつぶし緑色が浸水30cm未満、黄色は浸水30〜90cm。
白色は水害の被害なし。
この地図を見たときに春日野道駅が今より少し西側に片寄ってる気がした。
この地図の右側の南北の道がかすがの坂であり、春日野道商店街だ。
今の感覚だと、もう少し右側にあってもいいような気がする。
今の改札口より西側に書かれている。
ひょっとして、(この地図の)作り手のミスかなぁ〜と思い、
阪神春日野道駅の場所はどうなのか?見てみた。
画像

こちらは今と同じと言っても問題ない。
このとき阪神は地下化している。
今の感覚で言えば、
春日野道商店街を登りきった先に阪急春日野道駅、
下りきったところに阪神春日野道駅があるといった感じ。
この地図(の阪急)はちょっと異なる。
そこで上記にある小学生の頃に見た阪急電車の案内を思い出し、
むかしは今より少し西側にあったのか?と思った次第。
ただwikiをみると、阪急春日野道駅のホームにある屋根部分について
『リベットが使用されている鉄骨造のホーム上屋は開業時以来のもの』とある。
・・・となると、やはり開業から変わりがないのかと思う。
あの青ペンキの案内、
阪急電車の乗り場はこちら と単に方角を示していただけなのかもしれない。
改札口にしてはせますぎるし、ホームから離れすぎている。



神若通4丁目にある神若公園。
この動画からどう見てもそれらしきものは見当たらず。
調べてみたら、
神若公園など他宮本、筒井、生田川、琴緒、吾妻、脇浜の公園は
昭和23〜26年度に着工している。
やはり戦後できたもよう。
ただ復興事業の遅れ、財政難といった理由で
実際に公園として使われたのは昭和30年代に入ってから(神戸市史)。
なるほど。

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