カラマーゾフの兄弟

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zoom RSS 新川の改革

<<   作成日時 : 2016/01/21 13:41   >>

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色々とネットで検索しているうちに
思わぬ資料を見つけた。
『新川の改革』という神戸又新日報 昭和2(1927)年11月15日夕刊の記事。
賀川記念館のホームページに掲載されているので、
詳細はそちらをご覧いただくとして、いくつか抜粋。

見出しが
『鉄道高架線の工事から
新川へ新川へと流る
神戸名物 暗に咲く花--をどうする
彼らはそれをひとつの職業と考えている』とある。

記事には新川細民街は依然として犯罪の街であり、
毒の花咲く暗黒のちまたである、
また神戸のガンと言われている街とも書いている。

ひどい書かれようである。
何がそんなにひどいのかというと、
喧嘩、酔っ払い、泥棒、強談、密淫、不良少年の跋扈とある。

確かに色々調べているうちに
新川周辺はあまりいい住環境ではなかったのはよくわかる。
では、なぜそうなったのか?
生田川の暗渠化もなぜわざわざ川にふたをしたのか?
中央小学校南にある東福寺に朝鮮人の遺骨を収集した塚があるのか?
いろいろと疑問がふくらむ。
明治末期から大正にかけての新川について口述形式でよい資料を見つけた。
武内勝という人の口述で、『賀川豊彦とボランティア』という本である。
これを読むとだいたいの雰囲気がよくわかる。
主に賀川豊彦についての本ではあるが、
そもそもなぜ賀川氏が新川に来たのか?
新川とはどういったところなのか?というところで
この地域の特徴について詳しく書いてある。
喧嘩、酔っ払い、泥棒・・・といった単語の羅列だけでは、
ぼんやりとイメージはつくものの
具体的にどうだったのかはわかりにくい。
上記本を読むとそのへん、雰囲気が理解できる。なるほどと合点がゆく。


さて話はもどって、先の新聞記事。
私がビックリしたのは以下の内容。
『最近、旗塚通から吾妻通、旭通へかけての、劣等な売春婦の増加は
おびただしいもので、夜の九時頃オーバーの襟でも立てて、通ろうものなら、
あちこちの路地からおしろいのお化けに袖をひかれる』とある。

たちんぼの売春婦が夜の九時頃その辺りにいたという記事に驚いた。
昭和6年に高架が完成し国鉄三ノ宮駅開通している。

小中高と葺合区に住んでいたけど、
むかし高架下周辺でそういうことがあったのかと知るとビックリである。

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