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zoom RSS 爺さん婆さんから聞いた幕末・明治・大正・終戦時代の話

<<   作成日時 : 2015/12/29 09:18   >>

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爺さん婆さんから聞いた幕末・明治・大正・終戦時代の話を読みながら、昔両親から聞いた話を思い出した。

父が神戸に住み始めたのが昭和37年(1962)前後。
1.当時南京町は道路が舗装されておらず、雨が降ると所々に水たまりができ
  道がドロドロ状態であった。今の活気を見ると隔世の感あり。

1961年(昭和36年)元祖「ぎょうざ苑」
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1976(昭和51年)民生
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2.当時三宮界隈は山口組と本多会が仕切っており、JR高架沿い南側は
  山口組、北側は本多会の縄張りであったとのこと。

母より。
3.広島の原爆投下時、呉の倉橋島に住んでおり、
  縁側にある窓ガラスが割れたとのこと。振動によるものかはわからず。
  子供でもあったので勘違いか記憶違いかもしれぬ。ただ別の人から
  聞いた話では呉でもキノコ雲が見えたとのこと。

愛媛の大叔母(大正元年生まれ)の話。
 なぜか大丸や三越の包装紙を後生大事に押し入れにたくさん保管していた。
 煮物をタッパに入れた際、その包装紙に包んで渡してくれた。
 普通の風呂敷ではなく、百貨店の包装紙に価値があったのかと思う。
 戦前戦後の物のない時代を経験しているせいか、冷蔵庫には
 賞味期限切れのものを含め、これでもかという位詰めていた。
 入れすぎと言って整理しても、しばらくすると冷蔵庫内はパンパンにふくれていた。



ゲゲゲの鬼太郎で有名な水木しげるのマンガで
『総員玉砕せよ!』がある。ほぼ自伝に近い内容で、
そのなかで手榴弾を使って魚を捕まえるが、魚ほしさに口にくわえたところ、
のどに挟まって、窒息死してしまう兵士が描かれている。
南方戦線へ行く途中に船が潜水艦からの魚雷で沈められ死んでしまう兵隊がいるなか、
無事島にたどり着いても、戦争と関係ない形で死んでしまうのは
運がいいのか、悪いのか・・・。



富士山があった震災前の新聞会館
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